祖母の家は古い日本家屋で、便所がボロボロの和式だった。

俺は小学生ぐらいの頃、その便所が怖くて仕方なく、

特に夜はぐずって便所へいかず寝小便をして母親に怒られていたものだった。

流石に中学生ぐらいになると夜だろうと独りで便所へ行けるようにはなったが、

どこかうすら寒いようなひたひたと迫ってくる怖さを感じて身震いする事が多かった。

 

ある夏、祖母宅に泊まった時の事だった。

その時俺は高校生で、久しぶりに祖母宅へ訪れると、

祖母はかなり腰が曲がり動くのがいちいちしんどそうに見えた。

母親は俺に「おばあちゃんを手伝ってあげよう」と言い、

俺たちは祖母宅の大掃除に取り掛かる事になった。

母親が俺に命じた掃除場所は便所だった。

 

「うへぇ」と言いながらもしぶしぶ便所掃除を引き受けた俺は、

あのボロボロの便所へ向かった。「いい加減洋式にリフォームすれば良いのに・・・」と

ぶつくさ言いながら便器を覗き込むと、何か背筋から冷たい汗が沸いて流れるような感覚があった。

外よりも1度か2度低いようなひんやりとした便所で、

俺は急に幼いころの恐怖心を思い出し、心臓が強く脈打つのを感じた。

 

「こんな歳にもなって恥ずかしい・・・」

そう呟いて気を取り直し、便所掃除に取り掛かった。

 

それでも何と表現しよう、心臓が常にフワフワ浮いているような、

胃酸がせり上がってきそうな、そんな感覚はいつまでも去らずに、

俺はだんだんと自分の息が荒くなるのを自覚した。

 

なんだろう、この不安は・・・

何か、自分以外のものの気配を感じる・・・

 

そう、この便所、なぜか分からないが生々しい何ものかの存在を感じさせるのだ。

無機質な空間ではなく、何かが息づいているような、住みついているような・・・

 

俺はしかし、くだらない、と自分に言い聞かせて、

さっさと終わらせてしまおうと勢いよく便器の中に手を突っ込んで乱暴に掃除を続けた。

 

と、その時だった。

 

便器の中に突っ込んだ手を、ふいに何かが掴んだのだ。

 

ぬめっとか、ひたっとか、そういう感覚ではない。

確実にがっしりと、物凄い力で、そいつは俺の右手首を掴んだ。

「ギャッ」

俺は反射的にそう短く叫んで手を引っこ抜こうとした。

しかし右手首を掴む力は強く、ふりほどけなかった。

左手で自分の右手を掴み、懸命に引っ張り上げようとしたが、びくともしなかった。

 

「た・・・たすけ・・・」

 

恐怖感に支配されて、大声で叫ぼうと思ったその瞬間・・・

 

目が、覚めた。

 

汗だくになり、ゼェゼェと荒い息を肩でして、

まるで全力疾走した直後のように心臓が高鳴り、全身がガクガク震えていた。

 

「な・・・なんだ・・・夢・・・かよ・・・」

 

それにしては随分リアルな夢だった。

いつの間に眠ったのか、その記憶すら無いが、

ここが祖母宅の離れの部屋だという事は、祖母宅に遊びに来ているのは間違いなかった。

 

そうだ、思い出した。

久々にあの便所で用を足したもんだから、ガキの頃の記憶が蘇って、

一瞬ブルっと身震いしたんだった。

しかも両親が祖母に「そろそろ洋式にリフォームしたら」と提案しているのを聞いて、

それでこんな夢を見たんだ。

 

そう思い、俺は何気なくアイツに捕まれた右手首を見た。

右手首には何者かに掴まれたアザが残っていてゾッとしたが、

自分の左手がジンジンと痺れをもった痛みを訴えていたので、夢のラストシーンを思い出した。

 

「はは・・・俺、ひとりでバカみたいだな・・・」

 

そう呟いて再び布団に潜り込んだ俺は、寝ぼけていたのか気付かなかった。

右手首にハッキリと残ったアザは、小指側に親指の跡が、

親指側に他の4本の指の跡がくっきりと残っていた事に・・・

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